発達障害と診断された僕が世界をどう見ていたのか、話をしようか、そうだな幼稚園の記憶くらいから

昔の自分を振り返った時、どこまで遡れるのかは人それぞれだと思う。

母親のお腹の中の記憶を持っている人もいると聞いたことがあるけれど、僕の記憶は幼稚園の記憶からだ。

この頃は、理性というものがまったく無かったように思う。

思うがままに、走り回り、好き勝手やり怒られたり、食べたいだけ食べて腹を壊したり、暴れたいだけ暴れていた。

3人兄弟の末っ子として生まれた僕は、始末の悪いことに甘えん坊でもあった。

不安になった時は、よく兄と姉の後ろをついてばかりいた。

兄と姉には甘えつつもわがままばかり言って、喧嘩もよくしていた気がする。

最近クレヨンしんちゃんが面白くて見ているので考えることがある。

(特に西暦2000年前後の作品は規制にしばられず面白い。)

幼稚園児ってのは、あんなに活発に公園や友達の家で遊ぶのか!と。

自分には、幼稚園で友達と言える仲の人がいなかったように思う。これも、今思えば、発達障害ゆえだったのかと思うことがある。

同じ組の子と、まともに話した記憶が無いのも気になるところだ。言語能力の発達も遅れていたのかな・・・と考えを巡らす。

みかん狩りやさつまいも掘り、お遊戯会など、楽しかった記憶はあるが、何がそんなに楽しかったのかと疑問に思う。

時々、幼稚園児の頃を思い出すと鮮明に蘇るのは、幼稚園に行きたくなくて、家に隠れていたら親に追いかけ回されたことだ。

なぜ幼稚園に行きたくなかったのか・・・・・・

行きたくなかった理由も覚えていないが、理由を親に聞かれた覚えもない。

今思うことだが、

自分は幼稚園に行きたくない理由をちゃんと親に話せたのかな。説明できたのかな。

親はなぜ幼稚園に行きたくないと、子供が抵抗していたのか聞いたのかな?

この疑問が今も解決せず気になることがある。

もし、子供が普段なにも抵抗なくしていることをその通りにしなかったら、拒絶するようになったら理由を聞いてあげてほしいと思う。例え、子供が将来それを覚えていかったとしても。

発達障害の子供を育てている親は本当に大変だと思う。症状に違いはあれど、発達障害の子も何気ないところで躓いたり、戸惑ったりするのではないか。「普通の感覚」というのを持ち合わせていないのではないか。また「当たり前」に出来ないことが多いかもしれない。自信がぜんぜん得られていないかもしれない。

早めに親が子供の特性(発達障害など)を認識することも重要に思う。子供の状況を知ることができれば、先の人生に待ち受けている困難にも家族全員で対処できると思うから。先手を打つことだって可能だ!

親が僕の発達障害を認識したのは、自分が17歳くらいの時であった。発達障害は先天的ものが多いという。幼少の頃から、その傾向は出ると思う。何度でも言う。子供の発達障害は早めに家族が、大人が、先生が認識してあげることが大事だ。特に僕のような微妙なラインにいる発達障害の子を。一見すると気づかない発達障害の子もいる。発達障害は克服できなかったとしても、認識するだけで不利な状況から脱する道を歩み始められる。克服する必要も無い。

過去を振り返るたびに何度も思う。子供の気持ち、察してくれ。発達障害の子ならなおさら。自己表現が下手な子もいると思うから。

続く

by UG

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