発達障害と診断された僕が世界をどう見ていたのか、話をしようか、小学校低学年の頃は
この頃の記憶はほとんど無い。学校関連の記憶がまったく無い。
小学校への入学、義務教育の始まり、算数や国語の授業、いろいろな刺激があって思い出だらけでも良いと思うのだが、、、、
もちろん、不登校とかではなく、毎日かかさず登校していたと思う。
塾などの習い事などをなにもしていなかったので、学校に行っていなかったら、授業無しになり勉強が何もできなくなっていただろう。
習い事に関する記憶で鮮明なものを1つ思い出した。
それは、親が姉の習い事について話をしていた時のことだ。
姉はピアノ教室に通っていたが、好きではなかったようだった。
ピアノ教室の話になると、いつも不機嫌そうな感じがしていたのを覚えている。
嫌そうなのになんで通っているのかな?と不思議に思っていたものだ。
そのピアノ教室の会話のはずみで、僕の習い事の話になったこともある。
母親から
「ピアノ教室に通ってみる?」
と聞かれたことがあったが、その時は思案することもなく秒で断った。
「行かない!」と、、、、
母親からは
「ヤダモンだね。」
とかよく意味がわからないことを言われたものだが、姉が楽しそうにしていない習い事に、行きたがるバカがどこにいるんだ。
と思ったものだ。
ただ、この時、ピアノってどんなものだろう?とやってみたい意欲に駆られなかったことは、「1つ、チャンスを逃したな。」と今日も惜しむことが多い。
小学校低学年の記憶で学校の記憶がまったくないのは不思議だ。本当に。
この頃の記憶で、もう一つ覚えているのは、兄と姉がしょっちゅう親にダメ出しされていたことだ。怒られていた内容はあまり覚えていないが、くだらない会話だな、と感じていたように思う。怒られている理由もよくわからなかった。
そしてかかわりたくないな、こいつらとは、とそんな感情になることがほとんどだった。
今、30歳過ぎて思うことだが、
「それ、前進する会話なの?それ、生産的な会話なの?それ問題解決につながってんの?」
そんな風に、過去に時間を遡れるなら、ばっさりと指摘してやるだろう。
親はダメ出し(指摘)の延長線上にあるものがなんなのか、よくよく考える必要があるだろうと思う。
気づきを得られないダメ出しを受けると、ただ悩み事が増えるだけだ、体は硬直して意欲を失ってしまうかもしれない。無駄な時間を過ごすことになってしまうかもしれない。行動でしか得られない貴重な経験が山のようにあるのに、それをみすみす遠ざけて良い訳がない!
失敗したときのwhy(なぜ)はいろいろな意味を持つが、解決に向かわないwhyはただの「いじめ」だ。
いじってやじって傷つけているだけだ。極端なことを言えば虐待だ。言葉の暴力だ。
失敗した時はhow to(方法)が必要だ。解決に向かう手段を考えることだ。
姉と兄をいじってやじってるだけにしかみえない親は本当に大嫌いだった。ただ、いじめているだけにしかみえない親だった。
この時の感情は今も自分の中に残っている。
自分の発達障害を知った時も、whyがつきまとったものだ。親もwhy、自分も親のwhyが刷り込まれてしまっていてwhyの繰り返し。これでは、思考が負のサイクルを繰り返してしまう。内面への責めをやりすぎてしまうと、自分を苦しめるだけだと実感している。失敗した時こそ意識を外側に向けて客観的な視点が重要に思う。
けれど、今はもう僕は自分に「いじめのwhy」は使わない。
今僕の意識の片隅にあるのは、解決策を見つけようとする「how to(方法)」だ。失敗したなら方法を変えよう!やり方を変えよう!考え方を変えよう!上手くいくまで試行錯誤だ!
続く
by UG